2006年5月下旬にトルコの西部をイスタンブールから時計廻りのコースで行って来ました。 アジアの最東部が日本ならその逆の最も西にあるのがトルコで、イスタンブールはシルクロードではアジアとヨーロッパの架け橋として栄えました。
日本から最も遠いアジアの国でありながら日本に対するトルコ人の感情は他のどの国よりも友好的で、旅行中我々が日本人と分かると子供たちは「こんにちは!」と言いながら手を振り、大人も彼らの好きなチャイというお茶を飲めと勧めてくれる。 これは日露戦争で彼らの敵国であったロシアに日本が勝利し、又明治23年にトルコの船が和歌山沖で台風にあい難破した時村人が必死に彼らの仲間を救助したということを小学校の歴史教育などで授業で教えているからだと言われています。 近い国でありながら未だに反日教育を推し進める韓国や中国とは全く異なり、日本人に親近感をもち友好的なこの国について日本はもっとよく知り大事にして、経済的にも政治的にももっと強く連帯すべきだと今回の旅行で感じた次第です。
(ちなみに1985年にはイラクのサダムフセインの魔の手から日本人を逆に助けたのはトルコでした。イランのテヘラン空港から日本人215名を脱出させる為に到着した2機の飛行機は日本から派遣されたものではなくトルコの飛行機だったのです。)
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第1部は今回の旅行の始点であり終点となったイスタンブールです。 イスタンブールは1923年にアンカラに首都を移すまで1000年もの間オスマン帝国などの都として栄えてきました。 イスタンブールは約30kmのボスポラス海峡によってヨーロッパ側とアジア側に分かれており、ヨーロッパ側には旧市街がありそこにはトプカプ宮殿やアヤソフィアなど歴史的建造物が集中しています。
第1部の構成は
コロール・ホテル界隈 ⇒ コロール・ホテルより市街を望む ⇒
イスタンブール市街(市街、グランドバザール、トプカプ宮殿、ドルマバフチェ宮殿、地下宮殿、アヤソフィア大聖堂、スルタンアフメット・ジャミイ(ブルーモスク)) ⇒ ボスフォラス海峡クルーズ ⇒ ベリーダンス・ショー の写真104枚によるスライドショーです。
第2部はサフランボル〜アンカラです。
サフランボル昔この地域にサフランの花が群生していたことから名付けられた小さな街で、切り立った谷の中にあります。 ここは昔ながらの古い民家(土塀に木の窓枠が並んだ木造の家屋)が今も人々の暮らしの中に残っていてその町並みが世界遺産に登録されています。
又アンカラは1923年にトルコ共和国の首都として初代大統領のアタテュルクが定め都市計画のもとモデル都市として整備されてきました。 アンカラの歴史は古く新石器時代から人が住んでおり、ローマ時代にはアンキラ(谷底の意)とオスマン朝時代にはアンゴラと呼ばれていました。
又アンカラから車で4時間程行ったところのボアズカレにはヒッタイト王国の都ハットウシャシュの遺跡やハットウシャシュの聖地である露天神殿のヤズルカの遺跡が残されています。
第2部の構成は
(イスタンブール→サフランボル) ⇒ フドウルルックの丘 ⇒
サフランボル旧市街と民家カイマカムラル・エヴィ ⇒ (サフランボル→アンカラ) ⇒ エセンボア エアポート ホテル ・ 界隈 ⇒ アンカラ市街(市街、アタチュルク廟、アナトリア考古学博物館) ⇒ アンカラ郊外 ⇒ ハットウシャシュ遺跡 ⇒ ヤズルカヤ遺跡 の写真105枚によるスライドショーです。
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第3部はユルギュップ(カッパドキア地方)です。
カッパドキアは数億年の噴火により出来た凝灰岩と溶岩が風雨の浸食により出来た大奇岩地帯です。 この地方は交易ルートの要所として古くから栄え、4世紀ごろからはキリスト教の修道士が洞窟を掘って教会を作り天井や壁に見事なフレスコ画を描きました。 又アラブ人からの迫害を逃れたキリスト教徒が住んだと言われている蜂の巣のような地下都市には礼拝堂、学校の教室、寝室や厨房などがありカイマクルでは2万人が暮らしていたと言われています。 又ウチヒサルなど岩窟住居に住む人は少なくなっていますが昔ながらの生活環境を維持する事を条件に今もそこに住み続けている人々がいます。
第3部の構成は
デインラー ホテル・界隈 ⇒ ウチヒサル ⇒
ローズバレー ⇒ ゼルベの谷 ⇒ パシャバー地区 ⇒ ギョレメ・パノラマ ⇒ ギョレメ野外博物館 ⇒ カイマクルの地下都市 ⇒ 洞窟レストラン ⇒ 絨毯工場 の写真104枚によるスライドショーです。
第4部はキャフタ〜アダナ〜クズカレスイです。
ユルギュップ(カッパドキア地方)を出てキャフタに向かう途中にシルクロードの東西を行き来した隊商が定宿としていたキャラバンサライ(隊商宿)などが今も残っています。又途中ドンドルマ(トルコアイス)のふるさと(150年の老舗)があるカフラマンマラシュを通過します。
キャフタのホテル「ユーフラット」はコテージ形式のシンプルな宿でここから早朝マイクロバスでネムルトダー山に登ります。 山頂の手前徒歩10分ほどはかなり急な坂できつく、 標高が2150mで内陸部にある為日中と日没後では温度差が大きくなります。 この山には世界遺産に登録された巨大な神像が転がっており首がまるで地面から生えたように見られます。
そしてアダナからクズカレスイに向かう途中は左側に地中海を見て走ることになりますがこの辺りのビーチは本当にすばらしいです。 しかしこのクズカレスイから内陸に7km位入ったところには天国とは名ばかりの険しい崖のような地獄めいた洞窟があります。 いわゆる「天国と地獄」です。
第4部の構成は
(ユルギュップ→カフラマンマラシュ) ⇒
(カフラマンマラシュ→キャフタ) ⇒ ユーフラット ホテル・界隈 ⇒ ネムルトダー山 ⇒ アタチュルクダム ⇒ (キャフタ→アダナ) ⇒ アダナ市街 ⇒ ホテル「チュクロバ スルメリ」・界隈 ⇒ アダナ→クズカレスイ ⇒ 乙女の城とビーチ ⇒ 天国と地獄 ⇒ (クズカレスイ→コンヤ) の写真101枚によるスライドショーです。
http://udonji.com/ 第5部はコンヤ〜パムッカレ〜トロイ です。 コンヤはイスラム神秘主義の一派メブレビー教団の発祥地(創始者メブラーナの霊廟があります)で教団独特の宇宙観を表現した旋舞が有名です。 ただそれを鑑賞した人の話ではただただねむたいだけということでした(又写真撮影も一切駄目)。 教団そのものは1925年にアタテユルクによって解散させられ、メブラーナの霊廟は博物館として公開されています。
コンヤが最も繁栄したのは13世紀頃で多くの神学校が開かれアナトリアの芸術・文化が開花しました。
パムッカレは温泉保養地で石灰棚に温泉水がたまった池に水着姿で浸かったり、水路で足湯をしたりしています。 ただ乱開発により温泉が枯れ始めた為棚へ湯を流すのは夏場の日中のみで、しかも景観保護の為進入できる場所も制限されています。
トロイは9回にわたり繁栄と滅亡を繰り返しその都市遺跡は9層になっています。 エーゲ海岸の交易の中心地として栄え紀元前1200年頃の10年間に及ぶトロイ戦争の結果、伝説「トロイの木馬」により町は滅亡への道を歩むことになります。
第5部の構成は
ホテル「デユンダー」・界隈(コンヤ) ⇒
コンヤ市街 ⇒ カラタイ博物館(元神学校) ⇒ メブラーナ博物館(霊廟) ⇒ (コンヤ→パムッカレ) ⇒ 石灰棚 ⇒ ヒエラポリス ⇒ (パムッカレ→クシャダス) ⇒ ホテル「リッチモンド エフェソス」 ⇒ エフェソス遺跡 ⇒ 聖母マリアの家 ⇒ 皮服工場(ファッション・ショー) ⇒ (エフェソス→トロイ) ⇒ トロイ遺跡 ⇒ ホテル「ツサン」 ⇒ (チャナッカレ→イスタンブール) の写真112枚によるスライドショーです。
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